2010年10月12日

2010年、真嘉比にて

9月23日。
照りつける太陽の下、沖縄戦激戦地の一つ真嘉比。
通称ハーフムーンと呼ばれる丘では、市民に呼び掛けた市民遺骨収集が行われた
作業は10月まで。

10月になると、ここは削られ、道路となる
その為、急ピッチでの作業だった


炎天下の下、地面にへばりついて土を掘る


遺骨や遺品を集めるのはもちろんだけど、沖縄戦の現状を再確認するための作業のように思えた
新しく堆積した土の下から65年前にさかのぼる


大学の仲間が見つけた米軍のレーションの残骸
次々に見つかる薬きょう

そして、骨片…

陶器製の手榴弾の破片も出てきた

レーション=生きるための食事
薬きょう=殺すための道具
骨=死


この場所で人が死に、人が生きた

まさに紙一重の戦場

そして、手榴弾は人が投げているわけだから、顔が見えるホント近くで殺し合いをしていたことを物語っている
現場についての話はまた今度思い起こすとして、今日、取材に出かけようと真嘉比の現場の横を通った時、9月23日、土を掘りながら、感じていたことや、考えたことかんじがちょっと固まった感じがした

「この場にいた人たちも私たちも変わらない、ただ時代が異なっただけ」、と


もしかしたら、この場に私と同じくらいの女性がいたのかもしれない
彼女は同じ様にここからこの空を見上げていたのかもしれない

一緒に掘っていた仲間の一人のように20そこらの若い兵隊も沢山いただろう
幼い子どもがいた人だってきっといるはずだ

参加していた高校生と同じくらいの少年は兵士として戦場に放り出されていた

老若男女問わず参加していたが、同じ様な人たちがこの場にいた



そう考えたら、他人事には思えなかった


これからもしかしたら同じ様なことが無いとは言えない


ここで眠る人たちはそんな私たちに忠告をしているのかもしれない
何故、ここで死ななければならなかったのか

兵士といっても、戦争で徴用されただけでもしかしたら普通の市民だったのかもしれない
加害者、被害者あるかもしれないが、戦争によって殺された、戦争の被害者に変わりはない


土を掘っていて思った


自分の大切な人が同じような状態だったら、って


きっと探したくても探せなかった人たちは沢山いたはずだ
だから、そんな人たちの為にもその人たちの代わりが出来たらと思う


戦後65年経ち、戦争風化はいよいよ進んできた


正しい歴史を残し、同じことをしないために



声なき声に耳を傾けたいと思う






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Posted by NaOKo at 13:17│Comments(0)Okinawa
 
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